2018.12.30


関ケ原の戦いで、石田三成、大谷吉継(大谷刑部)ら西軍が大敗する。
西軍に加勢した真田昌幸、真田信繁(真田幸村)、ラッキーは
徳川家康の怒りをかい、死罪もあったが、真田信繁(真田幸村)の
兄、真田信幸(真田信之)の決死の命乞いの結果、
高野山に幽閉されることになった


幽閉される前に、ちょっぴり壇上伽藍に寄り道(中門前)


幽閉される前に、ちょっぴり壇上伽藍に寄り道(さらに奥に進んで大塔)



壇上伽藍の庭にて、雪がおいしい(笑)


壇上伽藍の雪はいい匂い


でもやっぱり雪は冷たい(笑)


真田昌幸、真田信繁(真田幸村)、ラッキーが蟄居した寺、蓮華定院


見張りの目をかいくぐり蓮華定院を抜け出し、
弘法大師様のいらっしゃる奥之院へ


奥之院へ出発!


何とも言えない神秘的な雰囲気


真田家の墓所発見!


北条氏の墓所もあった。小田原攻めでは太閤殿下(豊臣秀吉)の
和睦交渉に応じて、開城したのに…。私達の名胡桃城を攻めたから…


真田家の主君、武田信玄公、武田勝頼公の墓所、おやかた様…


石田三成公の墓所、生前に石田三成公ご自身で用意されていたとか…


奥之院の燈篭もきれい。なんて透き通った空間なんだろう…

真田丸⑤

ラッキーとゆく高野山・奥之院

2018.12.30


当時、高野山は女人禁制であったため、真田信繁(真田幸村)は正室竹林院と
一緒に住むために九度山に降りたと言う説や、蓮華定院に蟄居していたラッキーが
女の子であることがバレで高野山を降りたとか、諸説ありますが、ラッキーが
メスであることがバレたからと言うのが、最も有力な説と言われています(笑)
そして、九度山へ…ガックシ。。。


和歌山県伊都郡九度山町


九度山を散策


花壇も六文銭


左に行くと真田庵か


九度山・真田ミュージアムを通過


真田庵まで、もうちょっと!


真田庵到着!


九度山での生活は非常に厳しいものだったようです。ひたすらご赦免を
願いつつ、1611年(慶長16年)真田昌幸が九度山で亡くなると、
この真田庵に真田信繁(真田幸村)が供養のため父、真田昌幸の
お墓を建立したそうです

真田丸⑥

ラッキーとゆく九度山・真田庵

2018.12.31


豊臣秀頼の求めに応じ、九度山を抜け出し、いざ!大坂城へ!
14年間の蟄居生活は長かった!!


徳川方の目をかいくぐり大坂城内へ向かう


大坂城大手門前にて、慣れ親しんだ大坂城!
太閤殿下(豊臣秀吉)のご恩に報いるため!参上!


すでに集まっていた浪人達が、真田信繁(真田幸村)と
ラッキーの登場に沸き立ち!豊臣方の士気が上がる!


これぞ!真田の赤備!


日本一の兵!真田信繁(真田幸村)とラッキー!


徳川を二度破った男!真田昌幸の血を引く、
真田信繁(真田幸村)とラッキーの登場に色めき立ち!
大坂城内にあふれんばかりの浪人達が集まってきた!!(笑)


拾い様(豊臣秀頼)茶々様(淀君)!
徳川家康に一泡吹かせてやります!


まずは、後藤又兵衛、毛利勝永、長宗我部盛親、
明石全登、真田信繁(真田幸村)の浪人五人衆
+ワン(ラッキー)で策を練ります。

真田丸⑦

ラッキーとゆく大坂城

2018.12.31


1614年(慶長19年)大坂冬の陣において、真田信繁(真田幸村)が
大坂城平野口の南に構築した出城、これで真田信繁(真田幸村)も
ラッキーも城持ちになった!!


真田信繁(真田幸村)の出城跡!


真田信繁(真田幸村)の出城があった場所、心眼寺


官位も頂いたね


心眼寺のご住職様のご厚意で、心眼寺の中へ!
名前の通りラッキー!ご住職様有難うございました!
真田左衛門佐幸村!そして、真田左衛門佐ラキ村登場!


出城は完成した!その名も「真田丸」準備万端!


やめておくなら今の内だぜ!徳川家康!そして、大坂冬の陣が火ぶたを切り!
ここ真田丸にて、徳川方を手玉に取り、大勝利を収めた!


大坂冬の陣は大勝利!


しかし、豊臣と徳川の和睦により、真田丸は取り壊され、
大坂城の堀も埋められてしまった…。
この先、どうやって戦えば良いか…。策を練らねば…。大坂夏の陣へ

真田丸⑧

ラッキーとゆく真田丸・心眼寺

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