2019.5.3



1615年(慶長20年)5月6日 大坂夏の陣 後藤又兵衛、最期の地、道明寺の戦い。
後藤又兵衛は伊達政宗の鉄砲隊の射撃により遂に戦死した。
後詰の明石全登も応援に駆け付けたが、敗走。


後藤又兵衛基次 黒田官兵衛に仕え、黒田官兵衛の息子、
黒田長政が黒田家の家督を継ぐと、黒田長政との不仲により黒田家を離れる。
黒田長政の奉公構(他家へ召し抱えられることを禁ずること)により、
再仕官の道を断たれ、大坂の陣へ。良く戦った!槍の又兵衛!


大阪府柏原市玉手山公園内にある大坂の陣で、亡くなった豊臣方、
徳川方の両軍の慰霊碑 それぞれの事情、それぞれの思いがあったんだろうね。


後藤又兵衛を倒し、明石全登を切り崩した伊達政宗が後詰の
真田信繫(真田幸村)、毛利勝永と真田左衛門佐ラキ村と激しく交戦した。
体勢を立て直すため一旦、兵を引く真田信繫(真田幸村)、毛利勝永、
真田左衛門佐ラキ村。


大坂城へ戻り、体勢を立て直す。


最後の砦、そして最強の砦、大坂城。


1615年(慶長20年)5月6日 長宗我部盛親は矢尾・若江の戦いで、
藤堂高虎隊と激戦となる。しかし、木村重成が井伊直孝隊との総力戦で討ち死にし、
木村重成を打ち破った井伊直孝隊が藤堂高虎隊に合流すると、一気に流れが変わり
長宗我部盛親は敗走する。その後、京都八幡に潜伏していたところを捕らえられ、
1615年(慶長20年)5月15日六条河原で処刑された。長宗我部盛親、名門、
長宗我部家再興を掛けた見事な戦いだった。ここは長宗我部盛親公のお墓がある蓮光寺。


体勢を立て直した、真田信繫(真田幸村)、毛利勝永、真田左衛門佐ラキ村は、
大坂冬の陣で徳川家康が陣を敷いた茶臼山に陣を敷いた!


真田信繫(真田幸村)の名言①
「関東勢百万も候へ、男は一人もいなく候」
 関東の兵はたくさんいるが、男と呼べるほどの人物は一人もいないという名言。


真田信繫(真田幸村)の名言②
「恩義を忘れ、私欲を貪り人と呼べるか」
受けた恩義よりも、金や身分などの欲に溺れる者は、
果たして人と呼べるだろうかと言う名言。


ここに陣を敷けば、平地にいる徳川兵が丸見えだぜ!


茶臼山の頂上。


山と言うほど高くはない丘。


徳川兵が丸見えだぜ!ウッシッシ。


毛利勝永に続き、真田信繫(真田幸村)と真田左衛門佐ラキ村は
徳川家康の本陣に突っ込む!待ってろ!徳川家康!


徳川方の松平忠直隊15,000を正面突破し、
次々と徳川方の兵をなぎ倒し、徳川家康の本陣へ到着!


徳川家康の本陣を切り崩し、徳川家康も総崩れ!どこに行った!家康!
徳川家康の馬印が引き倒されたのは、三方ヶ原で我らのおやかた様(武田信玄)が
馬印を引き倒した以来の出来事だった。


豊臣秀頼の出陣を待っていた、真田信繫(真田幸村)、毛利勝永、
真田左衛門佐ラキ村は奮戦したが、次第に数に勝る徳川勢が体勢を立て直すと、
流れが変わり、真田信繫(真田幸村)、毛利勝永、真田左衛門佐ラキ村は
壊滅し戦場を離脱する。そして、安居神社へ。


満身創痍で体を休めていた真田信繫(真田幸村)が最期を迎えた安居神社。


真田信繫公(真田幸村公)、あなたには、三途の川の渡し賃と言われる六文銭は
必要なさそうですが、真田の旗印として、六文銭の代わりに置いて行きます。


子供の頃、漫画で読んだ真田氏(真田信繫(真田幸村))、
こんなに心躍らされた戦国の武将は他にいない。もし、戦国武将の誰かに
生まれ変われるとしたら、織田信長でも豊臣秀吉でも徳川家康でもなく、
真田信繫(真田幸村)あなたに生まれ変わりたい。例え、同じ最期を迎えようとも。


徳川方のスキをついて、甲冑を脱ぎ捨て逃亡する真田左衛門佐ラキ村(笑)


スタスタ...


スタスタ...


うまく逃げ出せた真田左衛門佐ラキ村と明石全登、明石全登はキリシタン。
キリシタンとして認めてもらいたいがために大坂の陣に参加、
あなたの思いにより、信仰の自由は今現在も認められています。
明石掃部頭全登、大坂夏の陣で、死亡説より行き方知れずと言う説が有力とされる。


うまく逃げ出せた。すごく高い建物が見えるね。あれが、あべのハルカス。


豊臣秀頼公、淀の方様自刃の地
 豊臣秀頼 豊臣秀吉の嫡男、大坂夏の陣で様々な情報に惑わされ
初陣を飾ることなく最期を迎えた。淀の方様 浅井長政と織田信長の妹の
お市の方との間に生まれた長女、豊臣秀吉の側室となり豊臣秀頼を生んだ。
波瀾万丈の人生でしたね。豊臣秀頼公、淀の方様、安らかにお眠りください。


1615年(慶長20年)58日 豊臣秀頼公、淀の方様、その他32名が自害した。
その32名の中に、大野治長、大蔵卿の局、真田信繫(真田幸村)の子、真田大輔、
そして浪人五人衆の一人、毛利勝永は燃え盛る大坂城にて豊臣秀頼公の自害を介錯し、
豊臣家の最期を見届け自害し、その生涯を終えました。

真田丸⑨

ラッキーとゆく大坂夏の陣

2019.5.4



徳川方の追手から逃れるため、闇夜に紛れてさらに逃亡。


ひこにゃんに会いに彦根城へ。


彦根城の中へ。


天秤櫓と掛橋、この天秤櫓は長浜城から移築したんだって。


この掛橋を渡るんだけど、橋を壊して防御にも使えるように、なっているんだよ。


防御にも使えるんだね。


実物のひこにゃんは帰っちゃったみたい。ん!後ろに見えるのは、
徳川方の井伊直政!ラッキーどうしよう…。大丈夫かな。


ひこにゃんと写真は良いけど、暑いね~。


彦根城もきれいだね。


徳川方の井伊直政御一行様と記念写真!お互い過去のことは水に流して笑顔(笑)
皆様は、彦根城もりあげ隊の皆さんらしい。


続いて、岐阜城へ。


あんなところにお城が!!


あれが岐阜城!


織田信長のお城ってスケールが大きいよね。


すごい所にあるね。


令和元年54日 岐阜城。


岐阜城からの眺め。


岐阜城下のシロツメクサ、いい匂いがするね。


きれいなシロツメクサ。


お城巡りは楽しいね!また来ようね。

彦根城・岐阜城

ラッキーとゆく彦根城・岐阜城

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